畑の大根はすべて引き抜かれ、無造作に捨てられていた。風評が飛び、土地の価格も値がつかなくなった。今回の福島第1原子力発電所の事故同様、マスコミによる煽りでパニックが起こったが、深刻さではJCO事故をはるかに超えている。
水素爆発で建屋が吹っ飛び、骨組みだけが残った無残な姿は、広島の原爆ドームを思わせた。
JCO事故の折、取材の参考のためにと数々の論文や資料に当たった。いずれも大量の放射線被曝は人間を死に至らしめるため、極めて危険であるという認識である。当然と言えば当然である。だが、少量の放射線に関しては意見が分かれている。
少量の放射線でも危険であるという主張は、例えば柳澤桂子著『放射線はなぜこわい――生命科学の視点から』(地湧社)がある。
人間の体は細胞からできているが、この細胞は分子から、分子は原子からできている。原子の中心には原子核があり、陽子と中性子で構成されている。そして、その周りを電子がまわっている。
放射線がひとつの原子に当たると、その原子から、電子が大きなエネルギーをもって飛び出し、行く先々で無数の分子にぶつかって、エネルギーを少しずつ分け与える。これによってぶつけられた分子は興奮状態になったり、電離原子(電子を失った原子)になったりする。放射線の影響とは、こうした電離原子による複雑な化学反応によって引き起こされる。
少量の放射線を浴びて、表面上、何の変化も認められなくても、放射線はDNAを傷つけ、切断するなどして、突然変異を引き起こすという。その結果、細胞がガン化したり、奇形児が生まれたり、またDNAの傷が子孫に伝えられて蓄積する可能性があると述べている。
一方、少量の放射線ならば大丈夫というのが、近藤宗平著『人は放射線になぜ弱いか――少しの放射線は心配無用(第3版)』(講談社ブルーバックス)である。
国際放射線防護委員会(ICRP)では、「直線しきい値なし仮説」を採用している。被曝による発ガンの危険率には「安全量」(その線量以下なら危険率がゼロ)はない、というものである。つまり線量の多寡を問わず、発ガンの危険性があるという考え方である。
ところが、原爆放射線によるその後の人体への影響を調査した研究でも、チェルノブイリ原発事故後の周辺のベラルーシでの調査でも、少量の放射線による影響は認められなかったという。「発ガンの危険がある」ということを証明できなければ、通常「発ガンの危険はない」と考える。なぜなら科学は「ない」ということを証明できないのだから。
誤解のないように言っておきたい。放射線は危険である。ただし、その線量如何である、ということだ。10Sv(シーベルト)〜100Svの被曝では全員が数日から2カ月の間に全員死亡するといわれている。ところが、10mSv(ミリシーベルト)以下ならもはや心配しても仕方がないレベルだし、さらに1mSv以下なら自然放射線による日常被曝の程度である。この量をどう判断するか、ということである。
ただ今回の事故に関して、プルトニウムに関する政府の見解がまずかった。その見解をそのまま垂れ流したマスコミはもっとひどかった。
α線は紙1枚も突き抜けることができない。つまり紙1枚で防げる。
プルトニウムを飲み込んでも、排泄されて体の外へと出てしまうから大丈夫。
酸化プルトニウムは質量が重いので、30km以上飛ぶことは考えにくい。
上の2つは、動力炉・核燃料開発事業団によるPRビデオ「頼れる仲間プルト君――プルトニウム物語」のなかで“プルト君”も自信たっぷりに言っていた。
呆れてものが言えない。
プルトニウムはたった一か所にあるのではない。水蒸気爆発で周辺に飛散したはずだ。紙1枚で防げるのなら、全身を紙で覆うのか? しかもプルトニウム粒子は肉眼で確認できない。彼らは実験室の中で事故が起きているとでも考えているのだろうか。現場なんですけど。
プルトニウムはα線を出し続ける。肺に沈着せずに、幸いにして消化器官に入ったとしても、排泄されるまでの間は被曝し続ける。勿論、飲み込んだ量によってダメージの深刻度は変わる。
酸化プルトニウムは質量が重い。確かに比重は金と同程度の重さである。しかし、日本には毎年、黄砂が飛んできている事実を忘れたのであろうか? 粒径10μm(=0.01mm)の黄砂は比重が2。プルトニウムの比重は19.8だが、酸化プルトニウムの粒径は0.3μm。風に乗って飛ばないはずがないではないか。ましてやこれからは台風の発生する季節。早急に収束させないと、日本中にまんべんなく放射線物質が降り注ぐことになる。ただし、これも量の問題である。
中学理科の仕事とエネルギーを思い出した。斜面から転がり落ちるボールが、下りきったところでぶつかった木片が数センチ動いた。斜面の高さと木片の移動距離に関する問題であるが、これには条件があった。空気抵抗や摩擦は無いものとする、というものだ。理論的には成り立つが、現実にはあり得ない。テレビの解説者の言い分には全くリアリティが感じられない。彼らにとっては、未だに空気抵抗や摩擦は無視していい存在であるかのような口ぶりである。
JCO事故の取材で、ある論文を知った。当時のアメリカ核管理研究所(NCI)科学部長のエドウィン・S・ライマン博士の「日本の原子力発電所で重大事故が起きる可能性にMOX燃料の使用が与える影響」(1999年10月)である。慢心は危険だと主張するこの論文は、この福島第1原発で起こっている事故を見事に言い当てていた。
MOX燃料は高速増殖炉で使うべきものであって、本来軽水炉で使用するものではないはずだった。それが各地の原発に持ち込まれている。このことが被害を甚大なものにしてしまったのだ。MOX燃料を使用する炉での事故は、通常の炉の事故よりもはるかに深刻な事態になるはずだが、これに対する国の原子力安全委員会の返答は、事故が大規模の被害を招くのは燃料が原発の外に放出された場合だけであるとしている。MOXのペレットは焼結されているため粉状になって発電所の外に運ばれることは実質的にあり得ない。したがって、プルトニウムの原発外への放出に至る事故の影響について評価する必要はない。これが彼らの間違った論理であった。だが現実はどうなったか?
論文はまた、冷却材喪失事故や発電所停電のリスクについても触れている。まさに今の福島原発で起きていることだ。
論文は以下のように締めくくっている。
日本の規制担当者にとって、日本の原子力発電所が米国のものよりリスクが相当低いと考えるのはばかげている。したがって、日本は、軽水炉にMOX燃料を装荷し始めるというその計画を再検討しなければならない。米国の例にならって、重大な封じ込め機能喪失事故が――他の国におけると同じく――日本でも起こりうるという事実を受け入れ、その文脈においてMOX燃料の使用のリスクを評価すべきである。このような評価を厳密かつ正直に行えば、日本の当局は、MOX使用に伴うリスクの増大は、日本人にとって受け入れることのできない重荷であり、将来の日本の原子力産業の焦点は、通常の低濃縮ウランを使った既存の原子力発電所の安全な運転におくべきだ、との結論に至らざるを得ないだろう。
当時、この論文の件で、科学技術庁や通産省の責任者に面会を求めたポール・レーベンソールNCI(核管理研究所)代表が、多忙を理由に断られたことを告白している。
ところで、JCO事故の取材の折、参考にした資料に、原爆症による遺伝的な影響は認められなかったとする論文があった。この論文の筆頭著者の娘さんが、後に蛇崩の妻となるとはこのとき思ってもみなかった。
【今回紹介した本】
『放射線はなぜこわい――生命科学の視点から』(第3版)柳澤桂子
地湧社
1999年10月15日 2刷発行
¥650+税
『人は放射線になぜ弱いか――少しの放射線は心配無用(第3版)』近藤宗平
講談社ブルーバックス
1998年12月20日 第1刷発行
¥980+税
【著者資料】
柳澤桂子(やなぎさわ・けいこ)
1938年東京生まれ。
遺伝学者。
近藤宗平(こんどう・そうへい)
1922年福岡県生まれ。
大阪大学名誉教授。

