2008年09月30日

『方丈記』鴨長明

 「ゆく河の流れは……」このあまりにも有名な書き出しを思うとき、あたかも対句のように、いつも心に浮かぶ文言がある。
 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。……」
そう、平家物語である。そしていつも感じることは「盛者必衰」という思想だ。

 会社勤めを脱して十数年、仕事を通じていろいろな企業とかかわりをもってきた。残念ながら、「おごれるもの久しからず」とは、真実であるように思う。これは単に「無常」というよりも、人が組織を腐らせ、また組織が人を腐らせもするということだ。数々の場所で実感したことである。

 ところで、長明の生きた時代は戦乱や天変地異により、大きく世が乱れた時世だった。彼の隠遁は厭世による。
不思議なことに、中国の隠者は深山への隠遁という現実はほぼない。深山への逃避は、日本だけである。
 伝来した仏教では、すべてが否応なく滅びること(流転無常)を説きながら、人間の救いを一方で解く。ところがこの解脱哲学は、難解な仏典解釈のため理解できる人はあまり存在しなかったのかも知れない。
 そこに登場したのが「老荘=道家思想」である。煩わしいこの世をあっさり捨てて、静かなる自然の世界に赴く。このわかりやすさがタイミングを得て浸透する。いつしか、仙人も隠者も逸民も同一視され、隠遁者とは山深い地にひっそり棲み、ある種の超越した境地にいるものだというイメージが形成された。
 仏教と道教の相乗効果は、「無常」と「厭世」を醸し出す。深山において仏に近づこうとするのである。

 隠者は山を下りなかった。
 仏徒は下りて布教した。
 ツァラトゥーストラは下りて語り始めた。
 問われるのは「行動」の意味である。



【今回紹介した本】
鴨長明『新訂 方丈記』市古貞次 校註
岩波文庫
1989年5月16日 第1刷発行
1991年9月12日 第6刷発行
¥310(税込み)(当時)
posted by 蛇崩緑堂 at 11:33| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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