2008年12月18日

『無門関』無門慧開

 幡が風にたなびいている。二人の僧がこれを見て言い争っていた。
 「これは、幡が動いているのだ」
 「いいや、風が動いているのだ」
 そこへ通りかかった六祖慧能(えのう)が、
 「幡が動くのでも、風が動くのでもない。あなた方の心が動くのだ」といった。
 二人は恐れ入ったという。

 学生時代の友人とこのテーマについて議論したことがあった。勿論、結論など出るはずもない。二人の僧の意見も、また六祖慧能の教えも、いずれも自己の解釈にすぎない。真実はその先にある。これが当座の解答であった。むろん、これも自己の解釈である。

 幼少の頃に寺町で育ち、墓所を遊び場にしていた蛇崩は、寺が好きである。あの何ともいえぬ静けさを好む。何しろ三十三の禅寺が立ち並ぶ街。かくれんぼをするにも気合が入った。オニになったら夕暮れまで捜し続けなくてはならない。もっとも隠れる方も気が気ではない。何かの気配を感じながら、ゾクゾクしながら隠れ続けるのだ。ともに、必死なのは当然である。悪い奴らは示し合わせて、途中で帰ってしまうこともあった。オニがたったひとりで、いるはずもない仲間を探し続けるのだからたまったものではない。
 それにしても、禅寺特有の簡素で力強い佇まいには、今も心惹かれる。

 古人の古則話頭(こそくわとう)を鏡として、弟子たちを悟りへと導く指導方法を「看話禅」(かんなぜん)というが、『無門関』(岩波文庫)(西村恵信・訳注)もそのうちの有名な一巻である。無門慧開(むもん・えかい)[1183〜1260]が、参禅者に対して古則話頭を示して指導した、その時々のメモをまとめたものである。
 先の幡の話「非幡非風」についても紹介されているが、無門はこれに意見を付け加えている。
 「是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、是れ心の動くにあらず。甚(いず)れの処にか祖師を見ん」
 風でも幡でも、ましてや心でもない。何処に六祖の言い分を見るべきか?というのである。答えは、あなた方に開かれている。

 禅の公案や問答は難解である以上に、意味そのものをひっくり返してしまう。時としてナンセンスなこともある。
真理を記述するために論理を解体しつつも、再び論理に戻るさまは哲学的議論にも似ていよう。言語によって分節化することで、独立した事物の集合体として現れるこの世界にあって、分節化以前の、つまり記号の網に覆い尽くされる前の姿に接するためには、わたしたちはどうすべきであろうか?
 ハイデガーのいう、「存在」と「存在者」の関係と同じである。わたしたちは「存在者」を「実在」と見誤り、「存在」そのものを喪失しているというのである。
 では、どうすべきか?
 言語の使用を全面的に停止るのか?
 そうではなく、逆に分節的なこの言語を使って覆いを剥ぎとり、非分節の姿に立ち帰らせる。そのために、有意味な記号を記号によって無化し、意味をずらせ宙に浮かせるのである。ハイデガーの用語に「Entwurf」という言葉がある。自己の可能性へ向けて開かれてある様態を示す言葉で、ふつう「投企」と訳す。ところが、文脈によっては意味をずらし「企投」「企図」「脱投」といった苦心の訳語に変化することもある。言語によって固定化されることを恐れ、それを回避するために意味をずらしていく。言語体系の中で言語を組み替えていく作業。ある意味でこれが哲学的作業ともいえる。哲学用語が難解であるのはこのためである。ちなみに蛇崩は、この「Entwurf」という言葉が好きである。

 もちろん禅では、記号によって無化したままでは終わらない。再び有意味の次元に戻ってくる。「山」は「山」≠「山」であるが、「山」=「山」なのである。加えて、禅は哲学ではない。あくまでも実践である。

 言語は言語によって解体されるが、言語によって豊かに構築もされる。
 わたしたちは自己の内で完結した対象ではなく、 自己の可能性へ向けて常に開かれてあるのだ。
 そして、言語の覆いを引き剥がすことができるも私たちなのだ。



【今回紹介した本】
『無門関』西村恵信・訳注
岩波文庫
1994年6月16日 第1刷発行
1996年4月5日 第5刷発行
¥520(本体¥505)(当時)


無門関 (岩波文庫)無門関 (岩波文庫)
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価格 :
[タイトル] 無門関 (岩波文庫)
[著者]
[種類] 文庫
[発売日] 1994-06
[出版社] 岩波書店

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posted by 蛇崩緑堂 at 11:43| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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