2009年09月01日

『ノアノア タヒチ紀行』ポール・ゴーガン

 遺作ともいうべき彼の大作を初めて観た。
 「我々はどこから来たのか? 我々は何者か? 我々はどこへ行くのか?」
 ポール・ゴーギャン晩年の作である。
 縦139.1cm×横374.6cmの大画面は、蒼い色調に支配され、ところどころに配された裸の女性たちの黄褐色が印象的だ。49歳から50歳の頃にかけて制作されたこの大作は、彼の最愛の娘の突然の死の知らせを受け取り、彼自身、眼病、足の傷の痛み、梅毒、心臓発作と満身創痍のなか、自殺を決意した時期に描かれたものだった。19歳の娘の死は、相当な衝撃だっただろう。
 一命を取り留めた彼は、この後、タヒチからマルキーズ諸島に移り住み、間もなくこの地で没する。享年54歳。

 ゴーギャンがタヒチへ向かったのは1891年(43歳)、ゴッホの死の翌年である。ある日ふと見かけたタヒチ島の案内記に、たちまち魅了されたという。約2年間の滞在の様子を描いたのが『ノアノア』ポール・ゴーガン著、岩波文庫)である。
 フランスに帰国してから、タヒチで描きためた作品を売ろうと個展を開いたものの、売上は芳しくなく、やむなく滞在記を雑誌などに投稿しようと書いた。
 島での生活や風俗はもちろんだが、興味深いのは現地住民の信仰やそれに纏わる天地創造や天空の神々の話、いわば神話である。波羅門教の影響もみられるようで、ゴーギャンも指摘しているところである。
 こうした土着的な信仰は、しかしながらフランスの植民地政策によってキリスト教が布教され、生活も制度も慣習もいっぺんに欧化されてしまった。“南の楽園”を夢見たゴーギャンの目には、タヒチはもはや楽園ではなかったようだ。よりプリミティヴな生活を求めて島の反対側に移り住む。草ぶき屋根と竹でできた小さな小屋を借りて住まうようになった彼にとって、心安らぐ幸せな時間だったかも知れない。

 帰国後のゴーギャンは、文明の退廃から逃れるために再びタヒチへ渡る。
 欧化ではなく土着性へ、一神教ではなく古来よりの神々の信仰へ、論理ではなく研ぎ澄まされた感覚へ――それはまさしくタヒチという自然の中にあった。
 「我々はどこから来たのか? 我々は何者か? 我々はどこへ行くのか?」
 この問いかけこそ、「存在」と「時間」を結びつける「自然」への回帰を意味するものであった。


【今回紹介した本】
『ノアノア タヒチ紀行』ポール・ゴーガン/前川堅市・訳
岩波文庫
昭和7年3月25日 第1刷発行
昭和35年10月25日 第16刷改版発行
昭和45年9月30日 第27刷発行
¥ ★ひとつ(当時)

【著者資料】ポール・ゴーギャン
画家。1848年〜1903年。
posted by 蛇崩緑堂 at 10:59| 東京 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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