2009年12月14日

『日本人の知らない日本語』蛇蔵&海野凪子

 学生時代、プラトンの研究者である西洋古典学の教授が、照れくさそうに私たち学生に話してくれたことがあった。彼女は念願かなって、プラトンの故郷であるギリシアに旅したときの出来事である。
 当地の人々に話しかけてみるのだが、みんな怪訝な顔をして、彼女のもとから足早に去っていったという。ギリシア語には自信のあった教授にしてみれば、いたく落ち込んだそうである。あるギリシア人の紳士に出会った時のこと、彼が丁寧に指摘してくれた。
 「あなたのギリシア語は、もはや古典語なので、今のギリシア人には通じませんよ」
 プラトンの研究者は古代ギリシア語を学んでいたため、現代人には通用しなかったのである。さしずめ、『源氏物語』の外国人研究者が、日本の古語を使って私たちに話してきたらどうでしょう? しかも流暢に。恐らく面喰って、何事もなかったようにその場を立ち去ることでしょう。
 教授は決まりが悪そうに、しかしニコニコしながらこのエピソードを語ってくれた。

 蛇蔵&海野凪子著の『日本人の知らない日本語』(メディアファクトリー)には、そんな異文化の話が盛りだくさん。海外から日本語を勉強しに来た人たちが繰り広げる爆笑のエピソードばかりだ。一所懸命に学んでいるから、本人たちにとっては大真面目なのだが。
 お国に帰ればシャトーに住む本物の上品なフランス人マダムは、任侠映画マニアのためか、「おひかえなすって! 私マリーと申します」と真顔で自己紹介。「私のこと姐さんと呼んで下さい」と言えば、他の外国人生徒に「てめぇ、シカトすんな」(ねぇ、聞いてる?程度の気持ちで)とも言う始末。普通の日本語とヤクザ言葉の使い分けなんて、そもそも無理というものなのでしょう。ここにスウェーデンから来た黒澤映画マニアの若い女性が、マリーさんの入学を聞きつけて意気投合。武士言葉をヤクザ言葉の織りなす、恐ろしい日本語が展開されるのである。

 言葉を学ぶということは、その国の文化を学ぶということでもある。この本を読んでいて、なるほどと思うこともしばしばだ。
返された答案用紙を愕然として眺めていた生徒、そこには“○”ばかり。正解に“✔”をつける国の方が多いとのこと。確かに機内での入国票には、チェックを入れることになっている。あるいはゲーム機のコントローラ。日本では「○」を押すと「決定」、「×」を押すと「キャンセル」を意味するが、アメリカ版は逆だという。まさに、ところ変われば、といったところである。

 最後に、凪子先生は海外の日本語教科書を手にして驚いたそうである。
  「素敵なお召物ですね」
  「いえ、こんなのはぼろでございます」


【今回紹介した本】
『日本人の知らない日本語』蛇蔵&海野凪子
メディアファクトリー
2009年2月20日 初版第1刷発行
2009年7月17日 第10刷発行
¥880(税別)

【著者資料】うみの・なぎこ(原案)
日本語教師、日本語教師養成講座講師。

へびぞう(構成・漫画)
イラストレーター兼コピーライター。
posted by 蛇崩緑堂 at 12:00| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月03日

『鏑木C方文集』鏑木清方

 この夏は資料を読み込む毎日だった。不便な土地にあって、遠路、図書館へも幾たびか足を運び、少ない資料から事実を確認する。資料によっては同じ事件を扱っていても、その日付が異なっていたりと、いわゆる“ウラ”を取らなければならない。おかげで結構な時間を費やしてしまった。
 こうして構成した資料をもとに、秋は執筆にあたった。連日の書きものは、連載を思わせる。毎日の連載はかなりきついものだと悟った。蛇崩には大変な作業である。共著のこの本は、幕末から明治において、日本が闘争を通して如何にして近代国家になっていったか、その戦いを改めて見ていこうというものである。
 蛇崩の担当は明治期である。次第に「国民」と「国家」が意識され、「近代」を獲得していく。むしろ、否応なく「近代」に呑み込まれていったのが明治という時代だったというべきかも知れない。国内の暴動鎮圧と他国(朝鮮)への侵略。こられは表裏一体のものだったと改めて感じた。一歴史好きがこのような本を書くことができて光栄であるし、何よりも良い勉強をさせて戴いたと思っている。そんな専門家でもない者が執筆を通して感じたことは、日本は何と馬鹿げたことをしでかしてしまったのかということだった。泉谷しげる氏ではないけれど、まさに“戦を仕掛けるのはうまく、戦が国の栄となる”(「国旗はためく下に」)、その下地が明治に形作られていったということである。

 先日、東京のサントリー美術館で「清方ノスタルジア〜名品でたどる鏑木清方の美の世界」展を観てきた。1990年の横浜美術館、’99年の東京国立近代美術館以来である。’90年の展覧会では、当時、美術雑誌の編集部に在籍していた蛇崩が清方の特集を組んだ。この時も資料に当たり、掲載作品の選定に苦心した。なにしろ名作揃いであったからだ。
 その資料が清方自らの手になる『鏑木C方文集』(白鳳社)である。名文筆家としても知られる彼の随筆は、日本画作品ともども品格がある。絵の場合、画品というが、彼の文章も画品と言っていい空気感がある。美しい文章である。
 展覧会で「深沙大王(じんじゃだいおう)」(明治37年)、「嫁ぐ人」(明治40年)が異彩を放っていた。「深沙大王」は泉鏡花の小説を脚本化したものの絵看板として描かれた作品である。だが、異彩は絵そのものではない。表装があり得ないのである。柿色に薄桃色が混ざった色。「嫁ぐ人」は画題の華やかさを重く消し去った濃いえんじ色である。この2作品が並べられているのである。否が応でも目立つ。自作品はおろか、隣の作品をも打ち消しあっているかの如くである。唖然としてしまった。いい作品も表装如何では台無しになってしまう。

 明治37年といえば日露戦争が起こった年である。9月には与謝野晶子「君死にたまふこと勿れ」が、また、「遂に、新しき詩歌の時は来りぬ。」の揚言で始まる島崎藤村の『藤村詩集』もこの月であった。日露戦争による文学的な反映が次第に見えてくる。
絵画の場合はそうした反映は目立たないようだ。「深沙大王」は、演目の変更で上演されなかったため、10月のグループ展に出品したものである。モダンな作である。この頃、日本軍は満州の遼陽を占領するも、ロシア軍の大規模な逆襲に手を焼いていた時期である。

 とはいえ、清方の、市井のおだやかな暮らしへの眼差しが蛇崩は好きである。
 静謐な展観であった。


【今回紹介した本】
『鏑木C方文集』(全8巻)鏑木清方
白鳳社
第1刷発行 昭和54年2月25日〜昭和55年9月20日
¥3,800〜4,900(当時)

【著者資料】
かぶらき・きよかた
日本画家。明治11(1878)年〜昭和47(1972)年。
昭和29年、文化勲章を受章。
posted by 蛇崩緑堂 at 11:22| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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