2009年04月30日

『あったかもしれない日本――幻の都市建築史』橋爪紳也

 実現しなかったプロジェクトは、それこそ無数にあるだろう。そんな“あったかもしれない”都市計画や開発、建築物の設計――忘れ去られた「構想」を紹介したのが、橋爪紳也『あったかもしれない日本――幻の都市建築史』(紀伊國屋書店)である。
 関東大震災のモニュメントや甲子園の秘話、日本海−琵琶湖−大坂を結ぶ大運河計画、昭和15年(皇紀2600年)の万博とオリンピックなどなど、あまたの幻のプロジェクトである。
 資金の問題や社会的な事情からなしえなかった計画だが、しかしながら、「先人の『構想力』『空想力』を識ることから、私たちは未来の都市に関わるビジョンを描く営為の本質を学ぶことができる」のである。
 なるほど、各々の設計や計画には大きな「夢」が見て取れる。そこからは理想に向かってのひたむきさが、ひしひしと伝わってくる。何よりもビジョンがある。昨今の無秩序ともいえる開発とは雲泥の差である。
 まさに「ビジョンを描く営為の本質」がここにある。
 見習いたいものである。

 ここに僅かばかりの頁を割いて「忠霊塔」のデザインが紹介されている。
 昭和14(1939)年に発足した財団法人大日本忠霊顕彰会が募集した「忠霊塔」のデザインである。納骨堂を備え、皇戦に捧げた英霊を祀り、この犠牲精神を高調する。日本各地で実際に建てられた塔は、競技設計で入選したものをその土地の事情に応じて変更されたようだが、どの入選した設計も似通っている。
 確かに幼かったころ、近所に同様の塔があった。小学校に上がったばかりの蛇崩たちは、「ちゅうれっとう」と呼び親しんでいて、よくここで遊んだものである。壁をよじ登ろうとして、大人に叱られることもしょっちゅうであった。
年に一、二度、塔の中が公開された。戦死者たちのお骨や髑髏が並んでいたのを見た時にはゾッとした。それ以来、二度と入らなかった。肝試しの格好の場所になった。
 その後、何らかの事情で広場を含むこの忠霊塔は立ち入り禁止となってしまった。その頃は、「仏舎利塔」と名前が変わっていたように思う。
 多くの忠霊塔は戦後に壊され、跡形もなくなってしまったようだが、蛇崩の生まれ育った場所ではそのまま残ったのだろうか。その後、新たに化粧が施され、小奇麗な塔にリフォームされたようだ。
 現在も同じ場所から街を見下ろしている。



【今回紹介した本】
『あったかもしれない日本――幻の都市建築史』橋爪紳也
2005年11月9日 第1刷発行
¥2,200(+税)

【著者資料】
はしづめ・しんや
1960年、大阪市生まれ。
京都大学工学部建築学科卒。
大阪市立大学大学院文学研究科助教授。
建築史・都市文化論専攻。工学博士。
posted by 蛇崩緑堂 at 09:32| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ビジョン…あるいは構想力って、現代の日本人には衰微してしまったかのようですね。

都市は国柄を端的に表しているところが、面白い。戦後の東京は、日本がいかに闇雲に歩んできたかが分かって、そのカオスが魅力的でもあります。
Posted by コーマ at 2009年05月06日 06:27
カオスになった原因は『東京の都市計画』(越沢明著)に詳しいです。
「横丁を曲がれば旅」なんて言葉がありましたが、次の角を曲がればどんな風景が拡がっているのだろうかとワクワクします。
ただ、入り組んでいては災害時に多くの犠牲者を出す危険性があります。
怖いところです。
Posted by 蛇崩 at 2009年05月08日 09:31
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