2010年04月25日

『笑いと異装』飯島吉晴

 名古屋市の熱田神宮にある文化殿には、多くの宝物が展示されている。木造の舞楽面では、「納曽利(なそり)」1面(平安時代)、「抜頭(ばとう)」1面(平安時代)、「陵王」1面(鎌倉時代)、これらはいずれも重要文化財である。また、「桐鳳凰蒔絵鏡箱」1合(室町時代)、これも重要文化財である。
 残念ながら熱田神宮を訪れる機会はこれまでなかったが、「桐鳳凰蒔絵鏡箱」はかつて東京の展覧会にて鑑賞することが出来た。絢爛豪華な蒔絵作品に息を呑んだ記憶がある。是非、舞楽面ともども、彼の地を訪れこの目で見てみたいものである。

 毎年5月、熱田神宮では「酔笑人神事(えよおうどしんじ)」というお祭りがとり行なわれる。境内の灯りをすべて消した闇の中で「オッホオッホ」と高笑いする儀式である。闇夜の笑いは恐怖である。
 熱田神宮といえば、三種の神器のひとつ「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」の鎮座をその始まりとして有名である。日本武尊(やまとたけるのみこと)が神剣を留め置いたまま、いまの三重県で死去したことから、妻の宮簀媛命(みやすひめのみこと)が神剣を熱田の地にお祀りされたのが始まりである。
 ところがこの神剣が盗難に遭い、一時、宮中で保管されていた。ようやく神剣が熱田に戻ることになり、それを喜んだのが「酔笑人神事」であるといわれている。しかし、よほど嬉しかったのであろう。闇夜の中でも高笑いとは。

 だが蛇崩にはちょっと気にかかることがある。この儀式は単に嬉しさのみを表す神事なのだろうかということだ。闇夜の中の笑いは恐怖でもあるとさきに書いた。むしろ、闇夜という恐怖に笑いをとどろかせ、未知(異界)という恐怖を笑いによって笑い飛ばす。未知の恐怖に笑いという形式を与えることで可知のものとし、私たちの知の体系に組み込もうとしているのではないか。

 飯島吉晴『笑いと異装』(海鳴社)を読んでいて、そんなヒントを戴いたような気がする。
「猿地蔵」として知られる物語がある。良いお爺さんはお地蔵さんと間違われ宝物をもらうのだが、悪いお爺さんは川を渡るときに笑ってしまい、人間であることが猿にバレてひどい目に遭うというお話であった。だいぶ端折ってしまったが、要は異界(死の国といっても良いだろう)に入るときは笑いは禁止され、逆に生への参入(誕生)は笑いによってもたらされることが窺われる。

 「酔笑人神事」も、神剣の返還、つまり神剣の再びのこの地での誕生を、笑いによって招来するという意味が込められていたのではなかったろうか。もちろん、嬉しさも込めて。感情としての笑いと、儀式化された笑いが併存しているのが、この儀式なのだと蛇崩は考えるのである。

 笑いには未知を可知にする力があると同時に、その反面、秩序を転換させ、混沌を引き起こす作用もある。笑いはいわば、この世と異界との媒介でもあるのだ。


【今回紹介した本】
『笑いと異装』(MONAD BOOKS 43)飯島吉晴
海鳴社
1985年発行
¥500(本体)

【著者資料】(当時)
飯島吉晴(いいじま・よしはる)
筑波大学歴史人類学系・民俗学
posted by 蛇崩緑堂 at 10:19| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/147679374

この記事へのトラックバック
リンク集
ないものはない!お買い物なら楽天市場
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。