2009年03月27日

『イルカと、海へ還る日』ジャック・マイヨール

 ハワイ島の沖、水深1000mの海で泳いだことがある。遥かにハワイ島が見えるだけで、周りには何もない。クルーザーが1隻、私たちをのせて海原を滑ってきた。エンジンを止めると、そこは波の音と渡る風の囁き以外に何もない。
 海底は見えるはずもなく、ただコバルトブルーのみの世界だ。わずかに潜ると、上も下も、右も左も、薄いコバルト色に包まれる。陽光に反射したようだ。水底に自分の影がうっすらと現れる。後光もさしている。まるでブロッケン現象だ。自分があんな深い所にいる。
 12月とはいえ、さほど冷たくもなく、海中ではゆったりとした気分を味わえた。水が妙に馴染んでいる。驚くほど、しなやかに泳げた。このまま、ずっと漂っていたい。不思議な感覚だった。

 映画『ル・グラン・ブルー』(1988年、リュック・ベッソン監督)といえば、ジャック・マイヨールをモデルにした作品としてあまりにも有名だ。閉息潜水の神様とまで云われたジャックは、1927年上海生まれ。幼少の頃は、毎年の夏休みを日本の唐津で過ごしている。そこで初めてイルカに出会った。『イルカと、海へ還る日』(関邦博・訳、講談社)によると、10歳の時に、群れのなかの1頭が寄ってきて、ジャック少年に興味を示したという。むろんジャックもイルカに魅かれた。親愛の情でいっぱいになり、彼らを仲間と思うようになったという。

 その後、北極のイヌイットたちとの生活やマイアミ水族館でのイルカたちとの仕事を経て、やがてフリーダイビング(素潜り)を勧められその世界へ。エンゾ・マイオルカ(1931−)との潜水世界記録の熾烈な戦いは今では神話にとなっている。
 1970年9月11日には、静岡県伊東市富戸沖で当時の世界記録76mをマーク。実際には80mに達していたものの、標識盤が引っ掛かりかろうじて76mの盤をつかんで浮上したという。そして76年11月23日には、ついに前人未到の水深100mという記録を打ち立てる。何とこのとき、彼は49歳であった。その後の彼の活躍はわざわざここで紹介するまでもないだろう。

 『イルカと、海へ還る日』の原題は『HOMO DELPHINUS』。いわば“ヒトイルカ”である。ヒトはイルカのように水棲能力を持っている。そしてイルカとコミュニケーションもできる。
 「そこにはブルー(青)しかない。私の体は、重い水の塊にのしかかられ、しだいにまわりのブルーに溶けていくようだった。上も下も左も右も、すべてが同じブルーに包まれる深海である。それを私たちは『グラン・ブルー』と呼ぶ。太古の昔、人間の祖先が住んでいたであろう世界だ。そこには風もなく、太陽の輝きもない。ただ奇妙な感覚だけが、私の体に伝わってくる。」
 イルカのように、しなやかに、自由に、グラン・ブルーを泳ぎたい。それがジャック・マイヨールの夢だった。

 『HOMO DELPHINUS』はその部分訳が雑誌に掲載されたことがある。そのときの雑誌の編集責任者が私だった。
 どのような導きなのか、私は今、富戸に住んでいる。そう、彼が世界記録を打ち立てた場所だ。キラキラと眩しく光るその海を眺めながら、この文章を書いている。
 今日の海は、穏やかだ。


【今回紹介した本】
『イルカと、海へ還る日』ジャック・マイヨール(関邦博・訳)
1993年2月8日 第1刷発行
1996年3月21日 第15刷発行
¥1,748(税別)(当時)

【著者資料】ジャック・マイヨール
1927年、上海に生まれる。
1966年、39歳のとき、水深60mのフリーダイビングに成功。
以後、この世界の第一人者的な存在となる。
2001年、死去。


イルカと、海へ還る日.jpg
posted by 蛇崩緑堂 at 10:25| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月05日

『東京の都市計画』越沢明

 東京23区の地図を眺めている。やはりおかしい。
 きれいに区画整理がなされているところと、そうでない場所の差がくっきりと表れている。多くの場合、整理された場所には幹線道路や準幹線道路、生活道路が効率よく張り巡らされている。未整理地区はスプロール(無秩序な市街化)である。しかもスプロールは高度経済成長期にも、いや戦前にすら、大がかりに手がつけられた形跡がない。昔の地図と見比べても、さしたる変化は見られないのである。
 震災や戦災で辛うじて残ったにしても、なぜ何十年も放ったらかしにされたのだろうか?

 杉並区の井荻周辺と、天沼、鷺宮地区の差は歴然である。また、世田谷区の九品仏、等々力、用賀も、周囲との違いを簡単に見てとれる。文京区小石川も幅の広い道路が500mだけ。付近とは違和感がある。もちろんこの場所だけではない。多くの箇所で、整理された地区といわゆる木賃ベルトが混在している。

 『東京の都市計画』越沢明著・岩波新書)でこの謎が解けた。
 現在の東京の都市計画街路網の原型は1928(昭和3)年に決定されたが、「人口500万人の時代に計画・設計し、しかも未完成の状態にある道路という根幹的な都市施設を、東京圏人口3000万人の時代に使用しているのである。今日、東京の都市空間が潤いとゆとりにかけるのは、この矛盾が根本的な原因となっている。」という。
 また、東京には都市計画が不在であったとよくいわれる。この意見に対しても、「東京には都市計画は存在した。ただ、当初の計画通りに実行されなかっただけなのである。計画の圧縮・変更のなかでプランナーは努力し、その都度、成果を残した。しかし、その後の世代がその努力を忘れ去り、ただそのストックを利用するのみで、新たなストックを追加することに成功しなかった。これが実態であろう。」とも語る。
 当初の計画、そしてその実行と挫折。この努力の歴史を本書が詳しく紹介している。
 これらが完成していれば、東京はもっと住みやすく、もっと安全な街になっていたことであろう。そう確信した。

 上述の杉並区は、当時の井荻村が土地区画整理事業組合を設立して区画整理にあたったもの。先見性のある地主らが自ら組合をつくって宅地開発をしたのである。1925(大正14)年のことである。
 世田谷区の場合も、地主らが耕地整理組合をつくった。1926(大正15)年3月、玉川村村長・豊田正治が中心となって設立した。中新井村(現・練馬区豊玉・中村)も組合(1933[昭和8]年)によって区画が整理された場所である。
 戦前に、明確なポリシーをもって宅地開発がなされたものには、電鉄系や学校法人系の資本による分譲地開発(田園調布[1918年]、常盤台[1935年]、成城学園[1925]など)と、こうした郊外地主らの区画整理組合によるものと2つの系統があるという。いずれの開発地も今日では高級住宅地になっている。

 関東大震災(1923[大正12]年)以降、人口増加に伴って生活の場は東京郊外に移っていく。これまでの、その場所とともにあった文化(貴族文化や町人文化など)から、不特定多数の集う自由な盛り場の文化に移行し始める。住居と仕事場が分離し、多くの勤め人が盛り場に立ち寄る。ここでは身分は関係ない。いわば近代の特権であった。(鈴木博之「都市の新しい貌」『1920年代の日本展』1988年、朝日新聞社)
宅地の郊外化はこうして加速してゆく。

 因みに上述の文京区小石川の道路は、戦災復興計画の遺産である。環状3号線として幅員約40m、中央分離帯に桜が植えられ美しい並木道になっている。ただ延長は500m。以後の事業化の目処は立っていないようだ。

 話は飛ぶが、2008年4月に閉店した上野駅前の「聚楽」。この聚楽が入っていた上野百貨店の場所は、もともと関東大震災による帝都復興事業によって整備され、美しい石積みの傾斜緑地だったという。これが戦後の露天整理のために、その集団移転先として建てられたものだった。広小路の露天の収容先だったのである。
 渋谷の露天も移転先がなかったため、東急に渋谷地下街を建設させ、そこに収容したものである。今の「しぶちか」である。
 それから、戦災によって生じた燼灰。捨て場がないため、これが道路に溢れ出し、この処理のために不要河川を埋め立てたという。苦肉の策だった。
 本来の都市計画である戦災復興事業にブレーキをかけながら、都市計画とは関係ないこうした露天対策とガラ処理を、都市計画の責任者に押し付けたようである。都知事をはじめ高級官僚など、都市計画に対する無理解によるものだったと想像される。

 「戦災復興事業を大幅に縮小したツケが今日、都市計画の“負の遺産”として重くのしかかっているという事実は厳粛に受け止めなければならない。」

 昔の道や町並みは風情がある。だが、緊急車輛が入れないのでは困る。
 こうした問題は、すぐさま対処しなければならない。
 都市計画には、大きなヴィジョン、グランド・デザインが必要なのだ。



【今回紹介した本】
『東京の都市計画』越沢明
岩波新書
1991年12月20日第1刷発行
1994年11月5日第5刷発行
¥650(本体¥631)(当時)

【著者資料】(当時)
こしざわ・あきら
1952年東京生まれ。
1982年東京大学大学院博士課程修了。工学博士。
長岡造形大学助教授。
専攻は都市計画、社会資本論。
著書に『東京都市計画物語』(日本経済評論社)などがある。


東京の都市計画 (岩波新書)東京の都市計画 (岩波新書)
販売元 : Amazon.co.jp 本
価格 :
[タイトル] 東京の都市計画 (岩波新書)
[著者] 越沢 明
[種類] −
[発売日] 2003-04-18
[出版社] 岩波書店

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posted by 蛇崩緑堂 at 11:05| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月08日

『ねじれた伊勢神宮――「かたち」が支配する日本史の謎』宮崎興二

 北国の小さな城下町で生まれ育った。
三層の天守閣が残る城址にほど近い南西、裏鬼門に三十三の禅寺が今も立ち並んでいる。城が攻め落とされてもこの地へ逃れ、最後まで戦うために作られたという。小山を削ったこの要害は、江戸時代には堀もあったというが、蛇崩が気合を入れてかくれんぼをしていた頃は、土塁しか残っていなかった。
 桝形を抜け寺町に入ると、間もなく正面に黒門があり、この小門をくぐると左側に今にも崩れそうな傾いだお堂があった。当時の素封家が天明・天保の大飢饉の死者の霊を慰めるために建立したそうである。みんな六角堂と言っていたが、じつは八角の稜形であった。
なぜ八角なのに六角と言っていたのか、今もって不思議である。

 八角と言えば、日本の神々は「八」が好きである。
 『古事記』にもあるように、八紘に広がる宇宙の中、イザナギとイザナミは八尋殿(やひろでん)に住み、大八島(おおやしま)(=日本)を生み、子どももたいていは3人と5人、合わせて八人ひと組の神々を生んでいる。
 スサノヲは八握りの髭を生やしてアマテラスのもとへ乗り込み、8人の王子を生むなどして大暴れしたがために、八百万の神々から追放され、出雲に降り立つ。そこで、八俣の大蛇を退治して、8人娘の末娘を娶ることになる。
 その時に詠んだ歌が、
 「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」
 その後、スサノヲの末子である八千矛神(ヤチホコノカミ)=大国主命が、総勢八十人の兄たちからいじめられながらも日本を支配するようになるのである。
前方後円墳の時代以降は、天智天皇陵も、天武・持統合葬陵も、文武天皇陵も八角形である。また、天皇家の紋章は、八の2倍の16弁の菊。そして祖先から、八咫(やた)の鏡、八重垣(やえがき)の剣(草薙[くさなぎ]の剣、天叢雲[あめのむらくも]の剣とも云う)、八坂瓊(やさかに)の曲玉(まがたま)の三種の神器を受け継いでいる。
 即位式の折には、八角形の高御座(たかみくら)に入って祝詞を読み上げるし、その時皇后も八角形の御帳台(みちょうだい)に立つ。

 それに比べると、「六」という数字には死のイメージが付きまとう。
 平安時代、平清盛は京都の六条通りに居住していたが、彼は京の六つの入り口に、死人がさまよう「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間」「天」という六道にちなんだ地蔵菩薩を祀った。地蔵堂のほとんどが六角堂である。
 近所の寺は六波羅密寺と改称され、付近には六道珍皇寺が建てられる。
 鎌倉時代になると、六波羅探題(今でいう警察)が設置され、六条河原は刑場となる。
 「つまり六条の六波羅探題に捕まって六条河原で処刑され、南無阿弥陀仏の六文字を聞きながら六道珍皇寺で六道銭(棺に入れる六文の銭)をもらってダビにふされたあと、六道の辻から六角灯籠に照らされて六道に入るというのが当時の極悪人のフルコースだった。」

 宮崎興二『ねじれた伊勢神宮』(祥伝社)は、こうした数の不思議のみならず、「かたち」に見る日本の歴史・民俗の秘密について紹介する興味深い良書である。ここで述べたエピソードは、すべて本書で紹介されている。

 しかしながら、あの六角堂はやはり不可解だ。
 神道には常住(永遠不変)や清浄の観があり、仏教には無常や不浄の観を想う。冠婚葬祭を見ても、祝い事は神道、悲しみ事は仏教が多い。
朽ちかけた六角堂は内部はらせんになって上り、てっぺんからまっすぐな階段で降りるという構造になっている。別名、栄螺(さざえ)堂。何やら胎内回帰にも似ている。新たに生まれ変わるという意味か。死と再生――神と仏の出会いの場だったのか。


【今回紹介した本】
『ねじれた伊勢神宮――「かたち」が支配する日本史の謎』
祥伝社黄金文庫
1999年1月20日 初版第1刷発行
¥533+税(当時)

【著者資料】(当時)
宮崎興二(みやざき・こうじ)
1940年、徳島県生まれ。
神戸大学勤務を経て、京都大学教授。
四次元建築論で工学博士。


ねじれた伊勢神宮―「かたち」が支配する日本史の謎 (ノン・ポシェット)ねじれた伊勢神宮―「かたち」が支配する日本史の謎 (ノン・ポシェット)
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[タイトル] ねじれた伊勢神宮―「かたち」が支配する日本史の謎 (ノン・ポシェット)
[著者] 宮崎 興二
[種類] 文庫
[発売日] 199..
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posted by 蛇崩緑堂 at 16:11| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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